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アメリカ留学科
更新日 2005年12月23日

■アメリカ留学修了後、ミュージカル俳優として活躍中のJCFL卒業生!


アメリカ留学科98年度卒 群馬県立桐生高校出身
ニューヨーク州立バッファロー校からエリーコミュニティーカレッジへ 
現在劇団「音楽座」のミュージカル俳優

98年度米国大学留学科卒業し、アメリカ留学を経て現在新進ミュージカル俳優として頑張っている楢原潤也さんが来校してくれました。松尾先生が直撃!

留学を決意した理由
もともと地元(群馬)で高校生の時、ミュージカルをやっていました。その時からできることならアメリカ留学して本格的なレッスンを受け、ゆくゆくはニューヨークで本物を体験してみたかった。

JCFLに出会ったきっかけ
大学をいくつか受験していましたが、果たしてこのまま日本で勉強していていいのか、と迷いがありました。そんな時同級生がアメリカに行く!と言い始めました。彼の気になる学校、留学機関のリストにJCFLが載っていて、進学することに決めました(笑)。

JCFL留学科で役に立ったこと
それまで外国人と接することがなかったので、JCFLでネイティヴの先生方と英語で話ができたのは大きかった。また英語のみの授業というのもそれまで受けたことがなかったので、プラスになったと思います。

アメリカでの留学生活について
その当時からミュージカル俳優になることは決意していたので、学校の授業も頑張りましたが、現地でダンスのレッスンも受けていました。週に4−5回、授業が終わるとスタジオに駆け込みで練習です。

どんな先生でしたか?
この先生はマシュークラークさんというのですが、2000年にこの人が指導したタップダンサーが全米タップダンスコンペティションで1位を獲ってしまうようなすごい人でした。

他に日本人はいましたか?
いえ。アジア人は僕一人でした。始めはなぜ日本人が?って感じが強かったですけれど、いい踊り、いい表現をすると拍手をしてくれて、そこから段々打ち解けていきました。

 

 米国大学留学科の松尾先生と楢原君
 
 キャストとしてパンフレットにも載ってます
 
本当にサインもらっちゃいました(松尾)

アメリカのダンスレッスンはどうでしたか?
やはりレベルが違います。本場はすごい。あと全員が第一線でがんばりたい!という人たちだったのですごく活気がありました。帰国の前日までダンスレッスンに通っていて、先生に『明日帰国するんだ』と伝えると、『ちょっと待ってろ。渡したいものがある』と言って自宅まで車を飛ばしてくれました。何かなと思ったら、全米1位を獲ったときの記念ジャンパー。『これをお前に渡したかった』と。感動でした」

アメリカ留学して大変だったこと
やはり食事ですね。アメリカの食事は脂っこいし!勉強もがんばりました。テスト前は徹夜の日々。あと言いたいことが英語で出てこないもどかしさもありましたね。

アメリカ留学してよかったこと
ずばり留学を通して視野がひろがったこと。アメリカは色々な国の人々が集まっているので多様な文化に触れることができました。あとダンスのレッスンで頑張っていたことも、その後の自信につながりました。

今後について
今後、まずは今のミュージカル劇団「音楽座」で主役をやれるよう頑張る!そしていつかはニューヨークでミュージカル俳優として舞台に立ちたいです。

今のミュージカル俳優としての自分に満足はしていない・・と?
いや、僕なんかまだまだなので、、(笑)。でも毎日地道にレッスン、稽古、本番の流れで少しづつでも自信がでてきました。今の劇団の中では「ダンスリーダー」といって踊りの流れを団員に伝えていく役目もやってます。是非どんどん上へ上へいけるよう頑張りたいです。

やはり有名になりたい?
いや、なりたくないと言ったら嘘になるけれど、それより一人ひとりのお客様に感動を伝えられる役者になりたいです。僕がアメリカで見たミュージカル、正直言うと英語の台詞がすべては分からなかったけれど、僕は感動で涙を流したことがあります。言葉ではなくても伝わるものがある、それができる俳優を目指しています。

絶対なれますよ。応援しています。ありがとうございました! (松尾)  

こちらこそ!先生、是非公演見に来てください!(楢原)

-担任だった米国大学留学科の松尾先生から一言

「帰国後、公演があるたびに学校によってくれる楢原君。だんだん活動の幅、スケールも大きくなって、うれしい限りです。一度舞台を見に行きましたが、やはり本物!そのうまさにびっくり!これからもどんどんスターになっていって欲しい。今のうち、サイン貰っておこう(笑)」

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