医学部を目指し2浪…苦手だった英語を克服するためにも、
いっそ海外大学に行ってみようとJCFLの門を叩きました。
高校生の頃は、小児科医として小さな命を助けてあげたいという思いと、「国境なき医師団」にも興味があったため、医者を志し、医学部を受験しました。国立大学の医学部に進学するために2浪しましたが、苦手な英語が足を引っ張ったこともあり、結局合格することができませんでした。浪人2年目の後期試験が不合格だった時に、「苦手な英語を克服したい…」「いっそ日本を飛び出したい…」こんな思いで、出した答えが「留学」。
でも、留学しても医者になる夢は諦めたくありませんでした。さまざまな留学機関を探しましたが、文系大学・学部への留学が中心であることが判明。理系も含め、多くの総合大学との提携があること、英語力を含め海外大学留学のための準備が1年間でしっかりできることに魅力を感じ、迷いなくJCFL(日本外国語専門学校)への進学を決めました。
浪人とはまったく異なるJCFLでの1年間。海外大学で勉強していく
準備がしっかりできたとともに、一生付き合える仲間もできました。
JCFLに入学して思ったのは、今までの浪人生活とは全く違うということ。浪人時代は毎日10時間以上勉強していましたが、「本当に大学に受かるんだろうか…」という不安の日々でした。一方、JCFLでは先生と学生の距離も近く、先生も含め友人たちと食事に行く機会も多く、いわゆる「学生生活」を楽しみながら勉強できました。クラスメイトだった友人とは今でも付き合いがある仲です。
特に役立った授業は、英語でのディスカッションやプレゼンテーションの授業。海外の大学では、こうした自己発信を重視する授業スタイルのため、渡米前に慣れておくことができ、とても役立ちました。また、英語力も浪人の頃と比べると格段に伸びました。アメリカ大学への留学に必要な英語能力テスト「TOEFL」の対策講座では、文法の力がつきましたし、リーディングやリスニングも実力がついてきていると日々実感できました。
このように、JCFLでの1年間は仲間にも恵まれ、未来に向け前進していると実感できる毎日でした。
留学はゴールではなく、新たなチャレンジのスタート。
勉強、勉強の日々でしたが、貪欲に吸収したことが、現在でも活きています。
留学先はアメリカのウエストバージニア大学に決定。JCFLの担任の先生と相談し、私が興味のある理系の分野も学べる総合大学であることが決め手になりました。
大学での専攻は生物学(Biology)。一般教養科目の一部は、JCFLで取得した単位を移籍できました。特に文系科目の履修が現地で少なくて済んだのは大きかったですね。理系は数式など世界共通なので理解しやすいのですが、文系は知らない単語のオンパレードですから(笑)
専門課程の科目はほぼ選択制。この「自由さ」もアメリカの大学の魅力ですが、私は遺伝学、神経生物学、神経行動生物学、解剖学、ウイルス学、進化学、分子生物学、生化学など自分が興味ある分野を履修。授業は20~30人の少人数制で、授業もディベートが中心でした。日本と違って、教科書に載っていることをただ覚えるだけでなく、教科書に載っている定説と、新しい研究から発表された新説について各自が考えることを議論したりするんです。
授業では、日本人、アジア人は私だけだったので、教授たちはすぐ顔を覚えくれました。ディスカッションの授業では、「テツヤはどう思う?」とまず私に意見を求め、そこからネイティブの学生たちのディベートがスタートすることが多かったです。
印象的な授業として覚えているのは「生化学」。この授業では、私たち学生がテスト問題を作って、教授はそれを元にテストを作成するんです。なので、自分が作った問題はもちろん、学生同士でコミュニケーションを取っていれば、ある程度どんな問題が出るのかが分かる訳ですが、問題作成を通じて自分自身の理解も深まりますし、クラスメイトたちとさまざまな知識をシェアすることもできます。生化学は覚えることが膨大なので、教授もこんなやり方をしたんじゃないかな、と思います。
また、アメリカでは、日本でいう「医学部」は大学院(メディカルスクール)からスタートします。私もそれを目指して留学したので、生物学専攻に所属しながら、「医学進学課程(Pre-Med)」の科目も履修していました。
優秀な友人たちに囲まれ、刺激的な日々。
勉強中心の日々でしたが、キャンパスライフも楽しみました!
CAPSTONE(キャップストーン)といって、日本でいう卒業実習の授業があり、4年生で履修するのが通常なのですが、私はそんなことまったく知らずに2年生で履修してしまいました(笑)。
その実習で同じチームになったアメリカ人2人とナイジェリア人の学生は、今でも連絡を取り合う仲ですが、みんな優秀でしたね。ナイジェリア人の友人はバイオロジーとエコノミクスを同時に専攻(ダブルメジャー)、アメリカ人の友人はそれぞれ、歯科医と眼科医になりました。こうした優秀な仲間と一緒に過ごせたことは私の財産です。
休日もレポート作成や試験勉強のため、図書館にいることが多かったのですが、息抜きに大学内にある体育館でスポーツをやったり、学内のジム(無料)で汗を流したり、バスケットボールやアメリカンフットボール観戦に行ったりしていました。長期休暇には足を延ばして、フロリダやニューヨークなどを訪れたり、友人宅でのホームパーティーにもよく参加していましたね。
「研究者」という将来の方向性が決まった留学。現在では、2016年ノーベル医学・生理学賞を受賞した最先端の分野で研究を行っています。
留学中に、さまざまなことを経験し、学ぶ中で、同じ医学でも医者ではなく、将来の大勢の人を救う可能性を探る研究者の道に進むことを決めました。
日本に帰国後は、首都大学東京の大学院修士課程に入学。提携先の東京都医学総合研究所タンパク質リサイクルプロジェクトでオートファジーの研究を行い、「オートファジー欠損マウスを用いたメタボローム解析」で修士の学位をいただきました。さらに研究所の所長のすすめもあり、東京大学大学院の博士課程へ進学。引き続き同じ研究所のタンパク質代謝研究室でオートファジーの研究を続ける一方で、研究所で師事した先生のご縁で、新潟大学大学院の特任助教として職を得て、研究者としてのキャリアを積んでいます。
私の研究分野は大きく言うと「生化学」。細胞や、細胞を構成するタンパク質などの代謝の仕組みや動き、それぞれの物質が及ぼす影響や働きに関する基礎研究を行っています。その研究のベースとなるのが、先日ノーベル医学・生理学賞受賞という最高峰の評価を受けた分野、「オートファジー(自食<じしょく>)」。体内の不要なタンパク質をアミノ酸などに自ら分解する働きで、日本はその研究で世界最先端を走っています。
東京大学の博士論文もこの「オートファジー」に関連する研究で執筆し、先日無事に博士号の学位記を授与されました。やはり嬉しいですし、両親も喜んでくれましたね。また、少し前には、新潟大学で行っている研究で、やはりオートファジーの機能を観察しながら、肝臓がんを抑制する物質の特定に成功。イギリスの科学誌「ネイチャーコミュニケーションズ」に発表しました。
こうした基礎研究が、新しい薬の開発などにつながっていきます。現在はオートファジーによる「糖・アミノ酸代謝」から「脂質代謝」へとテーマを変えて研究を行っています。1つのプロジェクトで5年くらいはかかる地道な作業です。ですが、こういった取り組みが、もしかしたら将来何百万人の命を救ったり、数年~数十年後には、ある病気の完治を可能にするかもしれない。広く「健康社会の実現」に貢献していきたいと思っています。
「研究者」としてのキャリアを積んでいくなら、
「留学」という選択肢はぜひ視野に入れてほしい。
理系分野に興味がある、「研究者」としてキャリアを積んでいきたい、こういう方はぜひ海外大学で学ぶことを視野に入れてほしいと思っています。研究者になったら、ずっと英語は必要です。国際学会でのプレゼンテーションは英語で行われるし、学術論文は読むのも書くのも英語です。
私は、4年間アメリカの大学で過ごし、日本の大学院に進みましたが、英語に苦労することなく研究に集中することができています。
また、近年の研究の世界では、異分野と協力して研究を進めていくことが主流です。自分たちの意見を聞いてもらって、相手の意見も取り入れていくという姿勢は、海外大学でのディスカッション中心の授業で培うことができました。
さらに、海外大学で学ぶことで、これから自分がどこで研究を進めていくのか、という選択肢も広がります。日本に戻ってもいいし、そのまま海外の大学に留まってもいい。
私はいったん日本に戻ってきましたが、再び留学する道も視野に入っています。海外の大きな研究所、最先端の研究を行っている研究所に所属し、研究し、論文を出すことで、研究者としてのキャリアを積んでいきたいですね。こうした研究者としてのキャリアを歩む上で、留学経験は、語学面でも研究面でも自分の糧になっていますし、日本を外から眺めることで「日本の良さ・素晴らしさ」も実感でき、もっと日本を好きになりましたね。
理系の分野に興味のある方、研究者になりたい方は、日本を飛び出し海外で学んでみることを強くおすすめします。JCFLでは、理系分野でも文系分野であっても、海外大学へ留学するための準備が1年間でしっかりできますよ。