フランス留学現地レポート2007年7月
美しいフランス語を話すトゥール
また、もっとも美しいフランス語を話す地域だとある哲学者(18世紀頃の話です)が言っていた事もあり、癖のない比較的わかりやすい発音で早すぎず、昔ながらの標準的なフランス語が使われています。先日パリに行った時には、人々の話す速さに少し驚きました。 語学学校の授業
クラスごとに少しずつ授業時間が違い、私のクラスは月、火、木曜は朝9時から16時半まで、水、金曜は午前中で授業は終わりですが大抵図書室か、聞き取りの勉強ができるメディアティックに学校の門が閉まるまで残って勉強しています。授業では文法、会話、発音矯正などをしています。発音矯正では自分の声を録音して後から再生するので「こんな発音してたんだ…」と毎回恥ずかしくなり、益々やる気が起こります。発音だけでなく、言いたい事が言えない時や、単語が分からなくて返答できない時など、悔しいことだらけで毎日落ち込んでばかりいますが悔しさをバネに頑張っています。 手違いで間借り?!でも楽しんでいます
家族とは生活スペースが別れていますが、何か問題があればマダムに相談にすることもできますし、一緒にカフェをすることもあります。家族たちは2階から上に住んでいて、私たち間借りは、1階に住んでいます。個室が3部屋あり、台所と風呂・トイレは共同、オーストリア人の大学生とモロッコ人の会社員とシェアしていて、2人ともペラペラなので、私が文法を間違えて話したら直してくれたり、同じ意味の単語をどう使い分けるのかやニュアンスの違いを聴いたりしています。 様々な場所でフランス人と交流!
語学学校に行くだけでは、フランス人の友人を作ることは難しいので、積極的に色々な場所に出向くようにしています。語学学校の留学生のフランス語と、フランス人のフランス語では、日常的に使われている言葉で異なる表現が多くあるのでとても勉強になります。特に若い人の言葉は理解するのが中々難しく、くだけた表現が多いので学校で習う表現と違う為、簡単な質問なのにも関わらず、何度も聞き返してしまう事があります。言葉が不自由だという事は、とても辛く、大変な事ですが、くじけず頑張っていこうと思います! 2007年9月
パリで一人暮らしスタート!
パリは、物件探しがとても難しい事で有名で、フランスに住むフランス人の学生でも困難と言われています。特に、留学生でフランスに保証人もなく、私はこれから美術を学ぶので、絵を描いてもいい物件を探さなければならず、長期戦を予想し、身構えていましたが家捜しを始めて3日目で物件を押さえる事ができました。同じ時期にパリで家捜しをしていた友人が数名いましたが、1,2ヶ月かかるのは当然で、長い人で3ヶ月以上かかっていました。先生にも「もう見つけたの!?」と驚かれたほどなので、私は本当に運が良かったのだと思います。しかし大変なのは家捜しだけではありません。電話、インターネット、住宅保険、銀行の住所変更など、様々な契約を全てフランス語でやらなければならず、7月は苦労の連続でした…。 新しい学校
これは好都合と思ったのも束の間、授業中も飛び交う英語…どうやらこの時期、夏休みだけの留学に来ている学生がとても多いようで、学校に籍は置いているものの、旅行に出かけ休む人も多いようです…それでも友人は出来ますが、彼らが英語で話し掛けてくる事も多いので、負けじとフランス語で返答しています。そうすると、徐々にフランス語のみで会話をするようになり、今では沢山の友人がいます。 学校は週単位で入学が可能で、それと同じように、先生の判断次第で、週ごとにクラスのレベルが上がります。その為クラスメイトの入れ替わりがとても激しく、友人を作ることが少し大変です。この学校にはヨーロッパ人が多く、国籍の偏りがありません。日本人も夏休みのこの時期でさえ二桁に満たない程度でした。
週に1度、テアトルという授業があり、この授業では様々な役柄になりきって感情をこめて会話をします。先日はグループの1人が有名人、他の人は記者という設定で、有名人役は単純な衣装を着て、記者は造花を持って会話をしました。また、ある時は占い師とその客になりきり、客の未来を述べていく…などこの学校は、比較的文法よりも会話に重点を置いている学校なので、発音で注意される事がとても多いです。フランス語には、日本語には存在しない音が沢山あるので(ほぼ全てでしょうか)、聞き取れても自分の口からはその音が発せないことがもどかしくて仕方ありません。母音が少ない日本語を母国語とする日本人の宿命ですね。 政治に関心をもつこと
凄かったのはバスの中です。サルコジ当選翌日、トゥール駅前で反サルコジ派によるデモが行われたのですが、その為バスの道がいつもと違い、「デモですって」とバス内の乗客たちが討論をはじめたのです。見知らぬ人同士が「それはおかしい!」「違う!」などと大声で言い合うのですから、感心してしまいました。右派、左派、サルコジかロワイヤルか。政治用語は難しく、半分も理解できなかったのですが、人種の話や医療費、労働時間の話など…時々、無言のままでいる私を周りの人々がじろじろと見てきました。きっとアジア人としての私の意見も求めていたのでしょうね。 私は、日本で政治についての討論をした事も、自分の意見を明確に述べる事もあまりなかったので、とても新鮮でした。最近は、日本語からフランス政治の知識を得た上で単語を調べ、新聞やインターネット、テレビなどで少しずつ勉強しています。 フランス革命の日
オーケストラの音楽に合わせ、新大統領ニコラ・サルコジがジープに乗って登場、ヨーロッパ27カ国の兵隊の行進、様々な種類の戦車、パトカー、消防車などが続き、上空にはなんと小型、大型など様々な戦闘機が飛ぶのです!赤、白、青のフランス国旗、トリコロールを模した煙を吐きつつまっすぐとシャンゼリゼ通り上空を駆け抜ける戦闘機には思わず「わぁ!」と感嘆の声をあげずにはいられませんでした。 革命祭翌日からパリの人々は本格的にバカンスに出かけます。8月の今は街中が少しだけ静かで、フランス人よりも観光客が多いように思います。 2007年10月
パリは東京の冬に近い気候で毎日寒く、街の人々はコートにマフラーという姿で、私はブーツなしでは寒くて外に出る事ができません。ちなみにパリでは今、黒のブーツが流行っています。 美術学校で学んでいます
最初は不安でいっぱいで、案の定、授業はほとんどわからない状態。宿題があることも理解できず、毎日泣きそうでしたが、2週間目になって急に授業が半分ほどわかるようになりました。自分が思っている以上に緊張して頑張っていたのでしょうね。頻繁に使われる美術専門単語を覚えたからかもしれません。 幸い、実技や美術史、CGの内容は、学んだ事があるので問題はないのですが、講義は本当に難しいです。専門単語はもちろん、宗教や文化、PCの機能に関する単語など、頻繁に仏仏辞書にさえも載っていない単語がでてくるので質問しています。困った事と言えば、美術作品に多く登場する神や天使、神話の登場人物の名前が日本や英語のそれとは多少異なっている事です。作品名や作者の名前にも共通してある問題で、アンディ・ウォーホルは、カナ表記すると「アンディ・ワアル」。レオナルド・ダヴィンチは、「レオナールド・ヴァンスィ」と言った具合です。 美術史は、2時間の講義なのでICレコーダーを持ち込んで後から教科書を参考にしながら書き取っています。英語の授業もあります。英語でもプレゼンがあるのですが、クラスメイトのフランス語訛りの英語が理解できない事も少し問題です…。 若者言葉に悪戦苦闘!!
驚くような文章の省略や、辞書にも載っていないような造語を話していたりします。丁寧に喋る先生の話の方が、友達の話より遥かに聞き取り易いです。今までは年上と話す機会が多かったので、内容は政治や文化、映画などが多かったのですが、今のクラスメイト達は、恋愛、恋人、洋服の話題ばかりで、どの国も若い人の喋る内容は変わらないようです。 ストライキ
私の家の近所の路線は、ほぼ運休で通勤時間にも30分に1本あれば良い方という具合で、インターネットの交通機関速報も「大体動いている」「あまり動いていない」など、かなり適当な情報で役に立ちませんでした。この適当さ加減が「流石だな、フランス人!」といった感じで、どうやら私もこれには大分慣れてしまったようです。 翌日には、交通機関が少しだけ回復しましたが、それでも通常通りではなく、その翌々日くらいにやっと収まったかな?と感じられるようになりました。 イタリア旅行
ペルージャは日本でもサッカーの中田で一躍有名になった、歴史を携えた美しい街です。とても急な坂が多く(むしろ、平らな道などなかったかのように思います)、慣れていない私には少し大変でしたが、建物の色が統一されていて、石造りでできた歴史を感じる可愛らしい家々の横を歩くのはとても楽しかったです。中田が通っていたというピザ屋や、本場イタリアのジェラート、イチゴのワインなど…とにかく食べ物が全て美味しく、おまけに安い!税率の為だと思いますが、物価はフランスの方が遥かに高いようです…。 フィレンツェはペルージャと街並みは近いものの、川がある為橋が多く、水面にくっきりと映る橋がとても綺麗でした。 スイス旅行
スイスではグリンデンワルドに行き、ロープウェイで標高2000mまで登ってきました。話には聞いていましたが、本当に美しい景色で山も空も空気も澄んでいて、圧巻でした。ベルンはドイツ語圏ですが、ほとんどの場所でフランス語が通じ、観光大国だけあって英語が通じない場所はありませんでした。日本よりも短時間で安く国外旅行が出来るので、また近くの国に遊びに行きたいと考えています。 |