最終回
六月五日、LAX発の飛行機で成田空港に無事到着しました。空港の中を足早に過ぎる人々、家に帰る途中のバスの中で見た荒川と鉄橋、そしてなにより緑濃い六月の日本を見つめているうちに、私の四年間は終わったのだという深い感慨にとらわれました。気持ちの整理が出来るのは、まだ先のことになるのかもしれない。けれどこの四年間をもう一度やり直すことは出来ない。一生に一度、二十歳から二十四歳というこの年齢で行った一発勝負は、とても長いようで短く、簡単なようでとても難しい日々だったように思います。
![]() |
人に支えられた最後の3ヶ月
特に最後の三ヶ月、私にとって最後のセメスターとなった今学期は、私がこの留学生活で培ったものは、学んだものは何なのか、もう一度問うような学期になりました。何故ならば、私は学期の途中から著しく体調を崩し、学校への通学も困難になってしまったからです。四月の頭から倦怠感と発熱が続き、わき腹の痛みにも悩まされました。自分で病院に行くことも、買い物に行くことも困難な状況でした。
そんな私の病状を気遣って、病院に連れて行ってくれた人、わざわざ食料を買ってきてくれた人、看病してくれた人、作品の制作を手伝ってくれた人、励ましの電話をくれた人、授業に出ることが出来なかった私と教授の連絡の仲立ちをしてくれた人、誕生日に花束をくれた人、電話をくれた人・・・。とにかく数え切れない人々が、私を助けてくれました。手を差し伸べてくれました。自分の生まれ故郷からはるか遠い町で原因不明の病気になり、不安でたまらなかった私を支えてくれたたくさんの人たちのおかげで、私はあの日日本に帰ってくることが出来たのです。
![]() |
感謝・・そしてこれから
もう三人、忘れてはいけないのが私の両親と兄です。特に兄は、忙しい仕事の合間を縫って私の卒業式に来てくれました。そして両親はこの四年間、経済的な面だけではなく、私が負けそうになったり弱音を吐いたりするたびに、いつも支えてくれました。本当に感謝しています。
今私は、やっと体調を回復させることが出来、この経験をどう社会に還元していくのか、その方法を模索している日々です。二十代最初の四年間という膨大なようであっという間な日々を、あの国で、まったくのforeignerとして過ごしたということ。それは人の暖かさを知るということ、そして自分も相手に対して思いやりを持って接するということの、練習だったように思います。自分ひとりでは何も出来ない。だから人は助け合わなければいけない。思いやりを持って接しなければいけない。それには国境も人種も、言葉さえも関係ないのだということを、私が彼らのforeignerからfriendに変わっていく経過の中で学びました。それはこれからの私の人生設計の中で、必ずかけがえのない経験になっていくと思います。
![]() |
![]() |
![]() |
海のそばは風が強い!旅の疲れがそこここに見えはじめています(笑)それでもかろうじてスマイル。景色は絶景です。 | 人生ではじめて、こんなに美しい雲海を見ました。これも霧の恩恵です。 | ミッションサンタバーバラでの一枚。ピンク色のレンガを多用した、美しい建物でした。 |




